Dr.Cinema

博士の愛した映画

そして父になる

血のつながりか、愛した時間か

「血」と「時間」 「エリート家族」と「温かい家族」 「父性」と「母性」

この映画には、様々な要素が対照的に描かれている。

しかし、その中に描かれる主人公たちの心情は、複雑で豊か。

それぞれが発する言葉に家族、父というものについて改めて考えさせられる。

野々宮家と斎木家

一流企業につとめ、レクサスに乗り、高級高層マンションに暮らす3人家族の野々宮家。

主人公の野々宮良多は、エリート街道をアクセル全開で突き進んで、手に入れてきた自負とプライドの高さをにじませる。

一方、前橋で電気屋を営む斎木家。 金銭的にはあまり恵まれていなさそうだが、人間味あふれる、仲のよい5人家族。

都会のエリート家族と、田舎の温かい家族という印象。

疑惑と事実

しつけや教育には熱心な良多。 しかし、子供との時間を割けず、子供にも積極的に絡んでいこうとせず、一線をひいたどこか他人行儀。

良多の自負やプライドとは違い、従順で思いやりがあるが、ライバル心や闘争心のない息子慶多に不満をもつ良多。

彼の姿に、自分の血を引いてるのにふがいない!という苛立ちを感じさせる。

「やっぱり、そういうことか!」

取り違えの事実を知り、車の窓をたたきながら、思わずそう叫んだ言葉が印象的。

母なのになぜ気づかなかったのかという自戒の念や夫からのプレッシャー。 母親失格と揶揄されていないかという不安。

夫の心ない言葉を黙って、いいしれぬ顔で見つめていた妻みどりの姿は、本当にいたたまれない。

尾野真千子の一歩ひいた控えめな演技が心を響く。

福山雅治と野々宮良太

本作は、福山雅治が是枝監督にラブコールおくったところからスタートしたとのこと。

そして、独身の福山を父親役を演じることに。 「真夏の方程式」でも子供と一緒に過ごすシーンが多かったが、撮影はこちらのほうが先。

野々宮良太は、どこか子供と距離を保っている父親。

そんな良太は、独身で子供に不慣れな福山自身のままでも、それがむしろ逆に様になる。

しかし、映画を通して、福山雅治の父性が引き出されていったように思う。

慶多と琉晴

6歳という設定が絶妙で、2組の家族の選択の苦しさをかき立てる。

これがもう少し大人になってからなら、同じく幼児取り違いを題材にした「ポテチ」のように、本人の問題として描き方も変わってくるだろう。

そして、是枝監督といえば、ドキュメンタリーを撮るように、子供を活かした演出。

琉晴はじめ、斎木家の子供達は本当に自然で自由でやんちゃ。 子供達を通して、斎木家の温かさがにじみでてくる。

一方、慶多はおとなしく、従順な印象で監督管理下にある印象。

大人達の事情は関係なく、2組の家族がふれあうと、子供達みんなで遊ぶ姿にほっこりさせられる。

それぞれの家庭に入れ替わった子供達が、性格まで入れ替わったように、演技がかわっていくのが見てとれた。

そして、子供達が放つ言葉や表現に出てしまう素直な気持ちと、リアルな演技が涙を誘う。

父性と母性

「似てるとか、似てないとか、そんなことにこだわってるのは、子供とつながってるっていう実感のない男だけよ!」

真木よう子演じる斎木ゆかりの重みと説得力がある言葉に、納得させられる。

家族間で意見が食い違うのは、当たり前。 しかし、血を優先しようとする父親に対して、一緒に過ごした時間を尊重する母親との意見の食い違いに、父性と母性の差が感じられて新鮮だった。

協力していこうとする母親同士に対して、争うかもしれないから親しくするなと注意する良多。

訴訟関係などに関しては頼りになるが、どこか弱い立場の人間の気持ちに疎く、力で奪い取ろうとしたり、揚げ足をとったりするエリートの嫌らしい面が見え隠れする。

父と父

そして、いつしか斎木家や、妻みどり、そして子供達からも、孤立してしまっているように感じた。

このままでは、2人の子供どころか、妻みどりもいなくなっていたかもしれない。

その1つの原因が、良多の父性であり、厳格な父親との関係性が深く感じられる。

父親像というのは、自分の父親の影響を多分にうけるもの。

その影響で、父親とはこういうものだと一線を引いていた子供との関係。

そんな良多に、父親がそうだったからといって、「父の通りにする必要ないよ」と告げる斎木家の父雄大。

その雄大を、リリー・フランキーが演じ、子供達とも自然で、つかみどころない深い懐をもった演技でつつみこんでくれたような気がした。

普通は、殺伐とした関係になりかねない父親同士だが、人の心がわかる彼がいたからこそ、母親たちとの溝を埋めてくれて、孤立から救われたように思う。

父と子

自分の父親像から解放されることで、素直な自分になれた良多。 自分の感情に従って、はじめて子供とまっすぐ向き合い、子供と触れる姿は、父親として一皮むけたのが伝わってくる。

そして、ふとした息子の日頃の行動を機に、息子への感情があふれ出す良多の姿に、観ていてもらい泣きしてしまう。

父になるのは自らがそうなろうとしてなれるものではなく、子供によって、父にさせてもらえるのだということを教えてくれる映画でした。

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